作品紹介(2)「招く手」(小野篁那由他之獄焔第二話)

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(キーボードの上にあるのはお手製の年表。登場人物・関連人物の生没などが記載されています)

文芸同人誌「泳げ!」掲載中の作品も含めて、小野篁の物語には今昔物語集にヒントを得て書いた作品が多々あります。
今昔物語集は平安時代末期(十二世紀前半)に成立したとされる日本最大の説話集で、その物語のどれもが「今は昔」で始まるのが特徴です。
今は昔、で思い出すものに「今は昔竹取の翁といふものありけり」がありますが、竹取物語とよく似た物語が今昔物語集に収録されています。
巻三十一第三十三「竹取翁、見付けし女の児を養へる語」ですが、今広く知られている竹取物語とは少々違うところもあり簡略化された内容になっています。
その頃既に口伝で世に知られていた「竹取物語の原型」とも言える物語を今昔物語集をまとめるときに収録したのでは、とも言われていますが、こういった各地で語られてきた不思議な物語が今昔物語集にはたくさん収められているのです。

今昔物語集には千を超える膨大な物語が収められていますが、それらは天竺(インド)部、震旦(中国)部、本朝(日本)部の三部から成り立っています。
天竺部と震旦部は仏典を翻訳したような内容で天竺部はお釈迦さまの物語が中心となっていますが、教訓的な話が多くて少し堅苦しいかもしれませんね。
本朝部は本朝仏法部と本朝世俗部に分かれますが、世俗部ではいろいろな地域や階層の人々が様々な物語を展開します。内容は摩訶不思議な物語、怪談じみた物語、人情味あふれる物語、笑い話のような物語など多岐にわたり、その後の色々な著作・芸術などに影響を与えています。

今回ご紹介する「招く手」は、巻第二十七第三(本朝世俗部)「桃園柱穴指出児手招人語」をもとにした物語です。
まずは、そもそもの物語を原文でご紹介しましょう。

今昔、桃園と云は、今の世尊寺也。本は寺にも無くて有ける時に、西の宮の左の大臣なむ住み給ける。  

其の時に、寝殿の辰巳の母屋の柱に、木の節の穴開たりけり。夜に成れば、其の木の節の穴より、小さき児の手を差出て人を招く事なむ有ける。  

大臣、此れを聞給て、糸奇異(あさまし)く怪び驚て、其の穴の上に経を結付奉たりけれども、尚招ければ、仏を懸奉たりけれども、招く事尚止まざりけり。此く様々すれども、敢て止まらず。二夜三夜を隔て、夜半許に人の皆寝ぬる程に、必ず招く也けり。  

而る間、或る人、亦、「試む」と思て、征箭(そや)を一筋、其の穴に指入たりければ、其の征箭の有ける限は招く事無かりければ、其の後、征箭の柄をば抜て、征箭の身の限を穴に深く打入れたりければ、其より後は招く事絶にけり。  

此れを思ふに、心得ぬ事也。定めて、者の霊などの為る事にこそは有けめ。其れに、征箭の験、当に仏経に増(まさ)り奉て恐むやは。  

然れば、其の時の人、皆此れを聞て、此なむ怪しび疑ひけるとなむ語り伝へたるとや。

(現代語訳)
今となってはもう昔のことになるが、桃園というのは今の世尊寺のこと。もともとは寺でもなかった頃に西の宮の左大臣(源高明)という人が住んでいた。
その時に、寝殿の東南のほうにある母屋の柱に、木の節穴が開いていた。
夜になると、その木の節穴から小さいこどもの手が出てきて人を手招きすることがあった。
大臣はそれを聞いて、非常に驚き怪しく思って、その穴の上にお経を下げておいたけれども、それでも手招きするので、仏像を掛けてみたが、手招きすることは止まなかった。
このようにいろいろやってみたけれど、けして止むことはなかった。
二夜三夜おきに、夜中人が皆寝静まった頃に必ず手招きするのだった。
そうしている中に、ある人がまた「試してみよう」と思って、戦に使う矢を一本その穴に差し入れたところ、その矢のある限りは招くことがなかったので、その後矢の柄を抜いて鏃の部分だけ穴に深く打ち込んだところ、それから後は招くことがなくなった。
これを考えてみるに、どうも納得いかないことだ。きっと、何者かの霊などのなせることなのだろう。それに矢の効き目が仏力にまさるとは思えない。
だから当時の人はみなこれを聞いて、そのようなことがあるのかと怪しんで疑ったと語り伝えたそうだ。

お札や仏像に頼んでも効果がなかったのが、穴を鏃でふさいだら出てこれなくなった……という、ちょっとくすっとしてしまうような怪談ですね。
しかし、柱の穴から手が出てくると言ってもこどもの手。女の人の手がうらめしげに毎晩手招くというのなら空恐ろしい感じもしますが、赤子がお母さんを探して手を動かしているような姿を想像してしまい、怖いというよりも個人的にはかわいらしいなと思ってしまいます。
そうなると、この手はいったい何を求めているのだろう、なぜお母さんと離れ離れになってしまったのだろうといろいろとその「物の怪」について想像を巡らせてしまうのですが……。
そうやって考えているうちに生まれたのが、小野篁那由他之獄焔第二話「招く手」です。
子を失った親と、親を求める子――。
今読み返すと少々拙いところの残る作品ですが、「桃園柱穴指出児手招人語」がどんな話に化けたのか、ぜひ読んでみていただきたいと思います。

#次回は「小野篁那由他之獄焔」第三話「赤い衣」について、その元となった物語をご紹介したいと思います。

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文学フリマ「たびね町」ブース

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拙著も置いていただいております(^。^)
(写っているのは丸本氏。まいどお世話になっております!!)

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文学フリマに来ています!(2017.5)

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泳げ!ブースの押川氏&服部氏。新刊出ました☆

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作品紹介(1)~「小野篁那由他之獄焔」登場人物と背景

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これから少しずつ、今まで書いてきた作品についてその背景などを紹介していきたいと思います。
かなり前からこういったことを書いていこうと思ってはいたのですが、先送りになってしまっていました。「泳げ!」に掲載させていただいた作品も増えてきましたし、そろそろ頑張って重い腰を上げて書いてみたいと思います(^^;
ストーリーのヒントを得た古典は、それ自身とても面白いものが多く、また元のストーリーとわたしの作品では結末や解釈を変えているものも多々ありますので、そういったところも併せて楽しんでいただければと思います(^^)

最初は、猪俣樒の名ではじめて書いた物語、「小野篁那由他之獄焔」」(2011文芸社刊)についてその時代背景や登場人物について紹介させていただきたいと思います。

物語の主人公、小野篁は百人一首でも「参議篁」として登場する実在の人物です。参議というのは朝廷で国の政治に関わる議事に参加する官職ですので、のちに結構出世したわけですね。この物語では篁が島流しから戻ってきた頃、840年(篁38歳)の頃のお話ですので、まだ弾正台というお役所で警察や監察のような仕事(風紀の取り締まりや官吏の綱紀粛正をはかるしごと)をしていました。とはいっても、この頃は検非違使が中心となってこういった仕事をしていましたので、篁のいた部署は結構暇だったかもしれません。

相棒の藤原良相は、その姓が示す通り藤原家の御曹司。父は勧学院を作った冬嗣、母を同じくする兄に長良と良房がいますが、その他の兄弟も含めると冬嗣の五男ということになります。大江乙枝の娘である妻と836年生まれの息子常行(ときつら)とともに、百花亭と呼ばれる屋敷に住んでいました。その後右大臣にまでなり屋敷が西三条にあったので、西三条大臣とも呼ばれるようになります。篁より11歳年下で、840年当時は27歳ということになります。

物語をざっくり説明すると、自由闊達な良相が町のうわさや面倒ごとを役所で暇そうにしている篁のもとに持ち込んで、二人でそれを解決する――といったところでしょうか。

少し後に登場する円珍は比叡山の学僧です。実は篁との付き合いは良相よりも古く、若かりし頃の篁を知る人物です。
(若かりし頃の篁の物語は「泳げ!」13号~15号に「師走の月」というタイトルで書かせていただいておりますので、こちらもぜひ読んでいただけると篁の背負うものが見えてきてほかの作品もより一層深く楽しめるかと思います(^^))
実は、円珍は当初はもっと穏やかでどちらかというと平凡なキャラクター設定でした。「泳げ!」20号掲載の「鬼の手」という作品について編集者の押川氏と打ち合わせている時に、もっとキャラクターを際立たせた方がいいというご意見をいただきまして現在のようなちょっと「妖艶な」キャラクターになった次第です。今の方が前に考えていたよりもずっと魅力的で、作者であるわたしも魅了されてしまいそうです(笑)。円珍については今後スピンオフ作品も書いていきたいなと思っています。
(良相のスピンオフについては文芸同人誌「十一月荘」にて連載中ですので、ぜひこちらもご覧になっていただけたらと思います^^)
円珍も実は三井寺の初代長吏(一山を代表する僧侶)として実在した人物です。円珍は良相の一つ下ですが、空海の甥っ子で若い頃から仏道に入り修行していたためか良相よりも冷静沈着で大人ですね。人間というものをどこか冷めた目で見ているところがあり、熱い篁とも対照的です。しかし、二人は相反するというよりはお互いにないものを補い合える関係で、篁は一回りも年下の円珍をどこか尊敬している部分があります。若かった頃の自分を知られているということで、なにかを「握られている」のかもしれませんけどね(笑)。

これら三人が生きたのは平安前期。まだ闇が近くそちこちで有象無象が跋扈していた時代です。占いや呪術があたりまえのように生活に浸透し、都にはそれらを司る陰陽寮という部署も存在していました。陰陽師、というものについて小説や映画などで耳にしたことのある方も多いかもしれませんね。しかし、篁は陰陽師のように簡単に「魔」を排除するようなことはしません。井戸を通してあの世とこの世を行き来し、閻魔大王の隣で補佐をしていたともうわさされる篁は、「魔」の声にも耳を傾けます。

「恐ろしいのは 鬼か 人か」

篁の目を通して、あなたもぜひ物事の真実に立ち会ってください。
最後に、「小野篁那由他之獄焔」の「序」を引用して終わりたいと思います。

 今は昔、仁明天皇の御時、世は偽りの平安に満ちたり。昼は路傍に屍あれどこれを喰らひし鬼のありさまを知らず、夜に柱の穴より児の手指し出でて招くも其れ何招かむにや知らず。人知れず赤き単衣の何方より来たりて何方へ去るや。また召すべき命あれど冥府の使これをなさざるはいかなる由にやあらむ。宵の侘しき荒れ庵に鬼の怪しくうごめきたるは誰を恨みて殺さんとせんや。かくのごとき怪異みな人の知るところなれどその理を知るものはなし。
 この時、篁なる人のあるを世は知れどその何処より来たりて如何なる任を持ちて来けるや知られざりき。
 世は無明の内にあるを知るもの甚だ少なかりし。

#次回は「小野篁那由他之獄焔」第2話「招く手」について、その元となった物語をご紹介したいと思います。

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コメント欄の閉鎖について(コメントありがとうございます!!)

今さらながら、コメントを何件かいただいていたことに気付きました(^^;

お返事もできず申し訳ありません!!

実は、過去の記事のコメント欄が迷惑コメント(英語のなにやら宣伝用かなにか?)で荒らされてしまいまして、当初はこまめにブロックしたり削除したりしていたのですが追いつかず、しかたなくコメント欄を閉鎖させていただきました(^^;;なんの説明もないまま閉じてしまい申し訳ありません。

最近の記事は書き込める状態のままだったものがあったようで、コメントをいただいていたことに今頃になってようやく気が付いた次第です…(まさかコメントくださっている方がいらっしゃるとは思わず……本当に申し訳ありません!!)

#にゃにゃにゃ123様
「胆のう日記」がお役にたったようでよかったです!わたくしは胆のうを取り除いた後も、まるで新しいのが生えてきたかのごとくなんの不自由もなく暮らせております(^^)体質や先生の腕もあるのでしょうが(ずっとおなかを壊すようになってしまったという話も聞いたことがあります)胆汁の分泌をうまくコントロールできれば(?)胆のうという袋自体はなくても差し支えなさそうですので、にゃにゃにゃ123様も快適な予後を手に入れることができますよう、お祈りいたしております!!(^o^)

#拙著にご興味いただいた方(二名様?)
amazonからご購入いただいたのでしょうか、「良さそうです」とのコメントありがとうございます!
「小野篁那由他之獄焔」は構想後すぐに、著者一人のつたない頭の中で考え執筆した作品で、今読み返すとまだまだいろいろと足りないなあと思うところもあるものではありますが、小野篁という人物への興味や愛があふれた作品ですので、いろいろな方に読んでいただけたらうれしいなあと思います(^^)最新作は同人誌「泳げ!」にて掲載中ですので、ぜひそちらも読んでいただけたらと思います!(同人誌編集人の押川さまのご協力を得ながら推敲を重ねて書き上げておりますので、以前のものより濃い作品になっているかと思います!)
およぶろ(「泳げ!」公式ブログ)よりメールでご注文いただければバックナンバーもご購入いただけると思います!!
ちなみに、「小野篁那由他之獄焔」の在庫はまだたっぷりございますので、ご注文お待ちいたしております(^o^)

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